灰色の空の下、馬車が街道を行く。
 乾いた冷たい風が吹きつける。
 北へ向かうにつれて、周囲の景色も次第に寂しいものになっていく。青々とした森を背にし、前方を見渡せば低木や野草の茂る荒野が広がるばかり。
 相乗り馬車の荷台には、乗客は一人しかいない。黒の旅装束に身を包んだ青年だけだ。その青年が口を開く。
「寒いね」
「ええ。でも、ここより北は、これから冬になるともっと寒くなりますよ」
「そいつは大変だ」
 しかし青年はさして大変そうでもなさそうに言う。御者(ぎょしゃ)はふと、彼はもっと寒いところから来たのではないかと思う。
「お客さんは、どちらの方で?」
 しかし青年の答えは、御者の期待するものとは少し違った。
「大陸の方からね」
 御者はほうと感嘆のため息を漏らす。ここベルテナ群島の外縁部、北の島々からやってきたのではないか……その予想が外れたから、だけではない。
 彼の話す言葉が、 流 暢(りゅうちょう)白 語(ベルテニッシュ) だったからだ。
「驚いた? ま、ここ(ベルテン)に来てからそこそこ経つからね」
「南の方だったら、共通語(コムニス)でも通じるんじゃないですか」
 共通語(コムニス)は、大陸で広く使われている言語だ。商人たちが各地を渡り歩き、取引をするためには、お互いに通じる言葉が必要になる。ベルテン南部は大陸との交流も盛んだから、共通語(コムニス)が話せる人間が多い。
「あいにくと、おれが共通語(コムニス)(うと)くってね。それに、ここの言葉と大陸の西のほうと、そんなに違わないんだよね」
 一方で(ベルテン)語は、ベルテンでしか使わない。大陸の人間がそれを習得しようとすれば、一部の例外を除けば、現地で実践するより他ない。簡単そうに言う青年だが、決して容易ではなかったはずだ。
「へえ……わたしも相乗り馬車やってそんなに長いほうじゃないですが、それでもお客さんくらい喋れる大陸の方はあまり存じ上げないですね」
 青年からすれば、御者の言葉のその真偽は分からない。
 しかし褒められて気分が悪い客はいないだろう。
「御者さん、商売上手だね」
 懐から銅貨を一枚。チップを弾ませる。
「ありがとうございます」
「それにしても淋しい場所だよねえ。おれが住んでたとこもたいがい寂れてたけど」
「ここから先はもっとですよ。大ベルテの最果て、第七都市ストラトクラウゼを越えればそこはアルバ島(マハ・アルバ)。不毛の荒野が広がるばかりです。住んでるのは羊飼いと、あとはエルフくらいなもんですよ」
「でも、そこがハイランド――そう、叙事詩(サガ)(うた)われる神代の地、“ハイペリア”なんでしょ。だったら一度くらいは見ておきたいもんだよねえ」
「はは、お詳しい」
「ここ来てからしばらくになるからね」
 ハイペリア。古い言葉で“高き座”を意味する。今ではもうハイランドとだけ呼ばれるその場所は、しかし今なお多くの遺跡が眠っているという。
「そういえば、お客さんはストラトクラウゼへは何をしに? やっぱり観光ですかね?」
 御者が問う。
「それもちょっとあるけど、まあ、仕事かな」
「その格好だと、冒険者か何かでしょうかね」
 つばの大きな帽子を被り、動きやすさを重視した装束に、腰に()した刀剣。なるほど、荒事を生業にする出で立ちだ。
 そしてハイランドに興味があるとくれば、北の台地に散在する遺跡を探索しにきたのではないか……と考えるのはごく自然だ。
 しかし青年は御者の言葉に首を振る。
「そんなに立派なものでもないさ」
「では、傭兵ですかな」
「ま、似たようなものだね」
「近頃は物騒ですからな。お客さんみたいな格好の方はよく見かけますよ」
「物騒?」
「いやいや、お客さん方が揉めごとを起こしてるってことじゃないですよ。むしろ、逆ですね」
「面倒ごとを片付ける……傭兵が?」
「そうです。この間も、街外れで暴れ鹿が出ましてね。大騒ぎになる前に剣士の方がやってきて、あっという間に片付けてしまったものですよ」
「奇特な傭兵もいたもんだ」
「お客さんもなかなか人がよさそうに見えますが」
「荒事には向いてなさそうだ、とはよく言われるよ。ところで」
「なんでしょう?」
「暴れ鹿ってのは、そんなに頻繁(ひんぱん)に出るものなのかな」
「え? いやあ、どうでしょうね。昔はそんな話滅多に聞きませんでしたが……最近になってからですよ」
「ふうん。じゃ、あれもきっとそうなんだな」
 青年の視線の先には、葦毛(あしげ)巨躯(きょく)、頭には猛々しい角を戴いた獣の姿があった。
 大箆鹿(エルク)だ。
「なんと……」
「乗り賃は置いとくよ」
「え? でもお客さん」
「人がいるんだよね」
 青年の言うとおり、大箆鹿(エルク)のすぐそばに旅装束に身を包んだ少女の姿がある。大きな荷物を背負っていて、声をかけたところでとてもすぐ逃げ出せる様子ではない。暴れ鹿を下手に刺激してもまずい。
 ならば青年が取る行動はひとつだ。
「自分でも言ってたじゃないですか、荒事には向いてないと言われるって」
「それでも行かなきゃいけないときはあると思うよ」
 そういって青年は馬車を降りる。
「あと、それに」
 帽子をかぶりなおす。
 身を翻して御者を見やると、不敵に口元を歪めて言う。
「おれは傭兵じゃなくて、魔法使い(マギウス)なんだ」


 神話の時代、魔法は才を授かったものだけが行使できる神の御業(みわざ)だった。
 巫女、魔女、ドルイド僧、半神半人の英雄……言い換えるならば、魔法は尋常ならざるものの象徴のひとつだった。
 今ではもはやそうではない。
 魔法は修錬しさえすれば、誰にでも行使できるものになった。
 かつて必要だった大掛かりな儀式は、魔法の体系化によって簡易な術式に取って代わられた。儀式に必要な魔法の道具も、魔法体と呼ばれる簡易術具を加工する工法が確立されて以来、人の手で数を量産することが可能になった。
 もちろんそれでも習得は決して容易ではないが、人の手の届かない存在ではなくなった。
 黒装束の旅人は、魔法使いを自称した。
 魔法が使えることは特別なことではない。傭兵も冒険者も、剣技や体術の補助として魔法を習得するものは多い。
 しかしあえて魔法使いを自称するのは、魔法に対する意識の強さの表れと取れる。言い換えるなら、それだけ魔法に自信があるということだ。
 青年は暴れ鹿に向かって走りながら、腰の後ろに下げた湾刀(シミター)を抜く。左手を刀身に添えると、術式を展開するための励起述句(オーダーワード)を口ずさんでいく。刀身の紋様の上を光が走る。
 風が巻き起こる。大地を滑るように、旅人は暴れ鹿との距離を一気に詰める。
 刀身に刻まれた文様は、儀式魔術に用いられた魔法円と紋章をまとめて圧縮したものだ。これがあって術式の簡易化が成り立つ。従来の儀式に必要とされた長大な詠唱も必要ない。紋様の適切な位置を示しながら、定型化された励起述句(オーダーワード)を組み合わせるだけでいい。
 もちろん、高度な術式になれば位置の指定も励起述句(オーダーワード)の発音も、それだけ正確さ、精度を求められるようになるが、それでも遥かに扱いやすくなったのは間違いない。
 旅人が繰り出した魔法は、“妖精の靴(フェアリーステップ)”。
 前方の空気抵抗を弱め、同時に後方からは背を押すように風を起こす。機動力を高めるための基本的な魔法だ。
 しかし基本的だからこそ、使う機会は多い。
 旅装束の少女に、大箆鹿(エルク)の巨大な角が振り下ろされる、その刹那(せつな)
 少女と大箆鹿(エルク)の間に、身を滑り込ませると、手にした湾刀(シミター)で、大箆鹿(エルク)の角を受け止める。
 乾いた音が響く。
 刀身から腕へと鈍い衝撃が伝わる。
 じりじりと後退りし、暴れ鹿との間合いを取る。
 一方で暴れ鹿も様子を(うかが)うように、地を慣らしながらその双眸(そうぼう)でじっと旅人を見据(みす)える。
 見るほどに巨大な箆鹿(エルク)だ。
 全長で十八(フィート)。体高は十(フィート)はあるだろう。
 首を切り落とすには、高すぎる位置だ。
「怪我はしてない?」
 暴れ鹿と対峙したまま、旅人が少女に問うた。
「あ……は、はい」
 おずおずと答える少女。
「ちょっと危ないから、離れててくれる?」
「え、でも、あなたは」
 心配そうな少女を制すると。
「おれなら大丈夫」
 笑いかけるようにそう言って、湾刀(シミター)を構える。
「早く」
「は、はい」
 後退(あとじさ)る少女を確認すると、旅人は(うなず)き、体を低く落として、後ろに引いた湾刀(シミター)に左手を添える。
 励起述句(オーダーワード)(つむ)いでいく。
 刀身の紋様に光が宿る。
魔法(マギ)……使い(ウス)?」
 少女が驚きの声を上げる。
 風が刀身に集まっていく。
「図体がでかいの、剣が届かんの、そういうのはおれには関係ないんでね」
 魔法の修練には多大な労を要する分、魔法使いのアドバンテージは大きい。
 身を俊敏にする“妖精の靴(フェアリーステップ)”のような助勢術式だけではない。飛礫(ひれき)を払う空気の(とばり)を作り出したり、足元の土を隆起させ防壁とするなどの、身を守るための守勢術式。そして。
 大箆鹿(エルク)の首を目掛け、旅人は湾刀(シミター)を振り上げる。
 ひゅん、と空を切り裂く音。否、音だけではない。実際に空を切り裂いたのだ。振るわれた太刀筋をなぞるように、風が巻き起こる。
 攻勢術式、“鎌振るう鼬鼠(ウィンドカッター)”。
 自らを助けるための魔法だけではない。
 相手に攻撃するための魔法もある。ときに足りないリーチを補うために。ときに弱点をついて強固な守りを崩すために。
 風が弾ける。続いて乾いた破裂音。大箆鹿(エルク)の首の覆う毛が千切れ、宙空を舞う。
 しかし、湾刀(シミター)から繰り出された烈風は、大箆鹿(エルク)の首を浅く薙いだに留まった。毛の下の皮膚に傷はない。
「硬いな」
 驚きに旅人の口から呟きが()れる。
「その箆鹿(エルク)、普通じゃないんです」
「大きさ? 見れば分かるよ」
 暴れ鹿は巨体に似合わない小刻みな足裁きで、旅人目掛けて頭突きを放つ。体を逸らして(かわ)す。生身の肉体をあの角で()かれたなら、ひとたまりもないだろう。
 回避に集中しながら、少しずつ間合いを取る。術式を構成するためには、ある程度の余裕がほしい。
「いえ、それだけじゃないんです」
 少女の言葉に耳を傾けながら、間合いを確保した旅人は更なる術式を構成し始める。
「斬ってだめならこっちはどうだ?」
 暴れ鹿の首に向けて石を投じるように、湾刀(シミター)を振り下ろす。
 ひゅっと空を裂く音。続いて、ぱん、と弾けるような乾いた音。大箆鹿(エルク)の頭が大きく(かし)ぐ。
 圧縮した空気の(つぶて)が大箆鹿(エルク)(あご)を強く打擲(ちょうちゃく)したのだ。攻勢術式、“風霊の魔弾(エアリアルバレット)”。
 首を大きく回し、()え直す暴れ鹿。
 その双眸(そうぼう)には怒りが(にじ)んでいるように見える。
 効いてはいるらしい。
「なるほど、皮膚が硬質化しているんだな」
「あれはもう凶獣(ベスティア)になってしまってるから……」
「ベスティア?」
 大陸から来た旅人にとっては、むしろ耳慣れた響きだ。ベスティア。共通語(コムニス)ではまさに“獣”そのものを意味する。
 (ベルテン)語には大陸からの輸入語が多い。しかし必ずしも、元の語と同じ意味合いで使われるとは限らない。半可な理解ではかえって誤解の元になる。旅人が聞き返したのはそういう意図からだ。
「穢れを帯びた獣は、ああなってしまうの。人が悪鬼(ベルガ)に堕するように」
「なるほど、“穢れ”か」
 旅人はそれで理解がいったようだ。
 暴れ鹿が前肢(ぜんし)(かが)めて頭を下げる。
 危険を察知した旅人は、後方に大きく飛び退()く。
 それとほとんど同時に、大箆鹿(エルク)は後ろ脚で地を大きく蹴った。
 前肢を軸にして身を傾ける。
 横腹での体当たり。
 背に冷たいものが降りる。重量を乗せた一撃。咄嗟(とっさ)に退いていなければ、直撃していたに違いない。当たったときのことを考えるとぞっとしない。
 これがただの獣でないのは、もう疑いようがない。
「穢れに侵食されれば、元の獣のそれとはもう違う」
 少女は旅人の言葉に頷く。
「なら、手を変えるまでさ」
 旅人は手馴れた所作(しょさ)湾刀(シミター)を鞘に納め、今度は細身剣(レイピア)を抜刀。真っ直ぐ伸びる錐のような刀身には精緻(せいち)な紋様が施されている。これも魔法体だ。刀身に手を()える。詠唱。
 湾刀(シミター)に施された紋様は疾風術式のものだ。だから湾刀(シミター)では疾風術式以外を展開することはできない。疾風術式の特徴として、空気を圧縮した刃による斬撃や、敏捷性を高めるなどの戦闘力強化がある。目の前にいる暴れ鹿の外皮は硬い。斬撃はあまり効果がないだろう。“風霊の魔弾(エアリアルバレット)”のような、打撃のための術式もあるが、試したとおりこれも期待はできなさそうだ。
 そして今手にしているこの細身剣(レイピア)には、雷撃術式の紋様を刻んである。
 斬っても打っても駄目なら、外的な強度を無視できる手を試すまで。
 細身剣(レイピア)を振り抜く。
 刀身がきらめく。
 “光を導く道(コンセントレーション)
 まずは魔法を相手に当てるための準備。
 雷撃の魔法は威力は高いが、制御が難しい。
 この魔法は対象と自身との間に魔法的な経路を生成するものだ。この経路を使って、次に放つ魔法を対象まで誘導する。
 そして再び刀身に手を添える。今から紡ぐ術式こそ、暴れ鹿を仕留めるための魔法だ。
 しかし、のんきに術式を構成する(いとま)を与えてくれるほど、現実はやさしくない。
 大箆鹿(エルク)前肢(ぜんし)を持ち上げて上体を逸らす。
 旅人は術式の展開を中断、後方に跳躍(ちょうやく)。直後、暴れ鹿の太く真っ直ぐな前肢が振り下ろされる。土を(えぐ)る一撃。
 続けざまに、頭を大きく振り動かす。角が空を切り裂く。
「ち」
 これでは術式を展開するどころではない。
 一撃当たれば致命傷になる。
「まずったねえ。これならまだ構築しやすい湾刀(シミター)の方がよかったかも」
 右、左と交互に繰り出される前肢での蹴りを、左、右と跳躍しながら(かわ)す。
 (かわ)しながら、左手は細身剣(レイピア)の刀身に添えられたままだ。
 いつでも術式を構築できるように。
 ()れろ。隙を見せろ。心の中で念じる。
 不意に、暴れ鹿が右前肢を折った。
 バランスを崩したか?
 いずれにしても、この機を逃す手はない。旅人は励起述句(オーダーワード)を詠唱する。
 しかしこの判断が命取りだった。
 右前肢を屈めたのは、バランスを崩したからではなかったのだ。
 頭を下げる。首を屈める。そして、一気に振り上げる。
 突き出される角。ぎりぎりのところで、(かわ)す。まだこれで終わりじゃない。
 折った右前肢を伸ばし、首を逸らす。振り下ろす。
 飛び退くには充分な体勢ではない。これは間に合わない――!
 咄嗟(とっさ)細身剣(レイピア)を真一文字に構え、身を(かば)う。角が振り下ろされる。
 きいん、と甲高い金属音。
 衝撃を吸収しきれず、旅人は後方へ押し飛ばされる。
 背中を打つ。
「ぐっ」
 旅人の体に、暴れ鹿の巨体の影が落ちる。
 手にした細身剣(レイピア)は、刀身半ばから折れている。
 万事休す、か。
 死を覚悟した、そのときだった。
 旅人が目にしたのは、風を裂き、天より落ちる金色の雨。
 一閃。
 音もなく、大箆鹿(エルク)の猛々しい角が切り離され、一寸の間の後、ごとりと地に落ちる。
 宙空より出でしそれは。黒鈍色(くろにびいろ)の塊を携え、頂より金糸を(まと)いし妖精。
 白金(プラチナ)のような髪をした、エルフの剣士だった。手にしているのは、刀身の長さだけで三(フィート)はあろうという巨大な剣。
 ハイランドの騎士が使うという、大剣(クレイモア)か。
 長身の痩躯(そうく)には本来不釣合いなはずのその黒い塊が、しかし何故だろうか、それこそがあるべき姿のように見える。
 そう思わせるほど、彼女は自然に剣を振るっていた。
「ふっ――!」
 息を吐き地を蹴って踏み込む。手にした大剣(クレイモア)を振り上げる。まるで流れるような、無駄のない体捌(たいさば)き。
 刀身の腹が、大箆鹿(エルク)(あご)を打ち抜く。
 大きく()()る暴れ鹿の頭。前肢ががら空きになる!
 続けざまに横薙ぎ一閃。
 ぶぅんと低い音で空を裂き、その重い刀身が前肢に叩きつけられる。めきり。砕ける音がした。足首がもげ、上体を支えられず、大箆鹿(エルク)はその頭を地に伏せる。
 その双眸(そうぼう)は、痛みと怒りに血走っている。見るものを畏怖(いふ)させる形相。しかしエルフの剣士は動じない。
 暴れ鹿は前肢をもがれてなお、胴体をのた打たせながら、後脚でエルフの剣士を蹴らんとする。剣士は後方に飛び退(しさ)り、剣を低く構える。
 口を小さく動かし、何か呟くと、膝を屈め、一気に跳躍。
 詠唱か!
 旅人は合点が行く。
 エルフをはじめとする亜人の身体は、人間のそれとは異なっている。
 外見的には、たとえばエルフなら耳が長く尖っている、というのがあるが、今言う身体の違いは、外見には留まらない。
 最も大きく違うのは、その構造だ。
 亜人たちは、魔法の発動に魔法体を使わない。使う必要がない。なぜなら、彼らの身体そのものが魔法体だからだ。
 紋様を刻んだ魔法体ではなく、自身の体を使って魔法を構築する。脈導魔法と呼ばれる、亜人だけに与えられた能力(ちから)
 彼女が発動させた魔法は、おそらくは身体強化の術式。
 であるならば、あの巨大な剣を軽々と振るうのも、納得がいく。膂力(りょりょく)を強化しているのだろう。人間ならば、鍛錬の末にようやく辿り着ける境地。彼女は、生まれながらにしてそこに立つ資格を持っているのだ。
 高く飛び上がった剣士は、大箆鹿(エルク)の肩口に降り立つ。
 暴れ鹿は身をよじり振り下ろそうとする。が、もう遅い。
 大剣(クレイモア)を上天高く振り上げ、跳躍。
「はあぁっ――!」
裂帛(れっぱく)の気合とともに、一気に振り下ろす!
 ごきりと鈍い音を響かせ、大箆鹿(エルク)の首の骨を断ち切る。
 なんという威力。
 あの硬い皮膚をいとも容易く断ち割ったのだ。
 そしてそのまま肉を斬り、骨を断ち、暴れ鹿の首が切り落とされる。
 ずしり。鈍重な音とともに、その巨大な首がもげ落ちた。
 エルフの剣士は砂色の布で剣を(ぬぐ)う。
 しばし呆然としていたが、我に返ると、旅人は彼女に歩み寄り、礼の言葉を口にする。
「ありがたい、助かっ……」
 しかし旅人が言い終えるより早く、エルフの剣士はただ一瞥して、背を向ける。
「対抗しうるだけの力がないなら、大人しくしているんだったな」
 そしてそのまま旅人の顔を見ることなく、乾いた、温度のない声音で言い捨てた。
 青年は返す言葉もない。
 拳を握り、(うつむ)くだけ。
凶獣(ベスティア)に食い殺されれば、その屍が悪鬼(ベルガ)に堕するだけだ」
 見かねたように、旅装束の少女が口を開く。
「い、いくらなんでもちょっと言いすぎだと思います」
 エルフの剣士は振り返らない。旅人は手で少女を制し、「いや」とかぶりを振り、続けて言う。
「彼女の言うことはもっともなんだ」
 遠ざかる剣士の背を見送りながら、
「力不足なのは事実だしねえ」
 自重するように呟く。
 そんな旅人に、少女は力強い口調で言う。
「それでも、わたしはあなたに救われたんです。それじゃ、だめですか?」
 まさに、胸を打たれた気分で、少女を見る。
「……そうか、そうかもしれない」
 少女は頷く。
「そうです」
 力強く。
 救われたのは、おれのほうだな。
 心の中でだけ、旅人は呟いた。

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